カラオケ #1

自分はよく一人でカラオケに行く。行き始めたのは高校の終わり頃からだったように思うので、もう始めて10年弱になる。生活も仕事も環境が頻繁に変わっていたせいで、たまに期間が空いたりしたけれど、なんだかんだ習慣として戻ってくる。それは何年か疎遠でもまたすぐにくだらない会話を再開できる友人のようで、これは相当な腐れ縁になるぞ、と最近実感として分かってきた。

でも元々カラオケは大嫌いで、そういう状況になりそうな時は全力で避けていた。というのも小中学校の頃の合唱は大好きだったのに、いざあの部屋、友人の前で、J-POPの類を歌おうとすると勝手が全く異なって、ちっとも上手く歌えなかったからだ。合唱の頃に習った口の開き方や、呼吸法、声の響かせ方など、全てが無意味に思えた (実際は活かせるのだろうけど、当時の自分にとっては)。一方で上手に歌う友達は全くそんなこと気にしていない風だったし、何より楽しそうだった。

好きだった「歌う」という行為が楽しめないことがとにかく悔しくて、そこに立ち向かうべく通い始めたのがきっかけだった。ただ、最初の数年間はちっとも楽しくなくて、いつも絶望的な気持ちで部屋を後にしていた。まず息が持たないし、高さも足りないし、リズムも取れない。自分の歌えてなさを自分で痛いほど自覚して、ひたすら凹む。頑張ってリキむと喉が潰れて痛くなり、さらに声はひどくなり、1曲すらも完唱できない。なんでこんなに歌えないのか分からない。でもまた歌う。また曲を入れてマイクを持って、また凹む。それを繰り返す。「ストレス発散」というイメージとは真逆のヒトカラに、悔しくて、何度も通った。

そのうち10回に1回くらい、「今日はちょっと歌えた」と実感できる日ができた。男性ボーカル曲をあきらめて、女性ボーカル曲のオクターブを下げて歌ってみたら、音はいくらかとれるようになった。あとは低音でそこまで音程の上下しない、ラップであれば歌えた。ラップはあの速さで自分の口が動き、同期すること自体に楽しさを得られた。歌った分だけぴったり合ってくるので、練習の甲斐もあった。合唱の基本は一旦忘れて、話すことの延長のつもりで、もっと楽に歌うようにした。そうやって少しずつ、当初まるで歌う気の無かった曲で練習していたら、カラオケそのものが楽しかった回数は増えた。

それでもやっぱり絶望する日の方が多かった。調子の落差が激しかったし、一旦喉がダメになるとその日は部屋を出るまで復調しなかった。初期条件を揃えるための準備運動が必要なのだと思い、色々調べた。息を限界まで吸って細く長く出し切る横隔膜の体操、「ラ・ガ」を連続して発生する喉を広げる運動、「い」の発音を維持したまま徐々に「う」の形へ唇をシフトさせていく口周りの運動など、違う部位に対していくつかの準備運動すれば身体の初期条件がある程度整うのが分かった。あとは喉に影響しないドリンクを選び、無理の無いスピードで徐々に音域が上がっていく曲を、最初に歌う曲として固定しておく。これでだいぶ「楽しかった」と思える日の確率が上がっていった。

楽しめるようになってくると、より上手く歌いたくなった。楽器用のマウスピースを用いた呼吸のトレーニングや、布団の中でのボイトレなど、余波がカラオケルームの外にまで及んできた。自分にとって最終手段だったけど、iPhoneで録音して、時間をおいて聴き直したりした(ひどく自分の声に抵抗があったので)。実際ひどくショックを受けたし、歌いながら聴くよりもはるかにヘタだったけれど、これが人前に出る前で良かったとしみじみ思った。まだ音程のズレはカラオケ筐体の機能である程度分かるけれど、リキんでいて全くスムーズじゃないとか、何より全然楽しそうじゃないとか、そういうのは録らないと全然気づかないことだった。楽しそうな曲は、楽しそうな顔で歌う必要があるとわかり、以後は部屋の反射物を探して鏡代わりに表情や口の広げ方も見るようになった。

そんなこんなを続けて、今はカラオケで楽しくないことがほぼなくなった。

数年して慣れてきたあるとき、ふと始めた頃にまるで歌えなかった男性ボーカル曲を入れてみて、音が自然に歌声として自分の口からでたときは、言葉にできない感動があった。歌っていて信じられない気持ちになった。もっとも学生時代の友達は特に苦労もなく歌っていたものだったし、一般人からはまだ程遠いのだろうけれど、それでもこんなに嬉しいことはなかった。

カラオケが楽しくなってからの話を、近々続きで書きます。