模様替え

部屋の家具の位置を変えたときの印象の変化は、大体いつも想像を超える。

知ってるものが、知ってる空間の中で動くのだからと、つい知った気になってしまう。住めば都というか、一度決めてしまうとそういうものとして受け入れてしまうし、それ以上を望む発想も中々生まれない。でもいざ試してみると、自分の想像が全く及んでいなかったことにたくさん気付く。

1つ前に住んでいた家があまりに狭くて、すぐ引っ越すことにはなったけど、家具レイアウトに関してとことんもがく機会を得たのは良かった。ふつうベランダ窓前の空間をベッドで潰したりはしないだろうけど、そんな配置すら試す必要に迫られて、結果としてそれ以上のメリットがあったりもした。何より、位置を変えるだけでこんなにも部屋が変わるのかという経験がたくさんできた。

思えば平面構成ですら実際に試して眺めてみないと分からないことが多いのに、空間が変わるのだから、想像できる方が不思議というものだ。たとえちょっと机とベッドの位置を入れ替えるだけでも、大げさに言うと空間が全く別の形になっているし、ドアや窓との関係も変われば導線や明るさも変わるし、ベッドや椅子からの景色だって全て前とは違うはずだ。

やってみると、まず思ったよりも強い新鮮さに驚くと思う。でも多分それ以上に大きいのは、気づきもしない自分の行動パターンへの影響だ。意識できる新鮮さは三日も経てば薄らぐだろうけど、無意識への影響は多分気付かないところでその先もずっと続くし、それは作ろうとして作れる類の自己変化ではない気がする。

例えば、窓の前から家具をどかせば、きっと開け閉めを頻繁にするようになる。部屋に入って最初に机が目に入れば、とりあえずその前に座ろうかという気にもなるし、逆にそれがベッドなら、まずは仮眠から入るかもしれない。椅子から本棚がよく目につく位置にあれば、手にとって目を通す機会も増えだろうし、ベッドからテレビが見えれば、中々布団から出られなくもなる。

そういう小さな行動変化の累積は、力いっぱい掲げた目標に対する能動的な変化よりも(特に意志の弱い自分にとっては)おそらくずっと大きい。部屋の模様替えだけでこれだけ変わる可能性があるのだから、住む場所や職場を変えたら、別人になったって不思議はない。なんだか環境に流され続けているようで無力感も覚えるけれど、なんとか無意識な自分をうまく誘導してあげることで、少ないエネルギーで望んだ変化を自分にもたらせる気もする。そしてそこにはきっと、意識的に動く余地がある。