祖母画集

実は今日、個人的に1年かけて少しずつ進めていたプロジェクトがようやく終わったのでした。
(結果的に1年かかった、というのが正しいけれど)
本当に嬉しい。




これ、自分のおばあちゃんの画集です。
自分の祖母は書道をかれこれ40年以上やっているのですが、今年で喜寿を迎えるとのことで、人生の節目に何かしたい!と1年半前あたりに相談を受けました。最初は寺を貸し切って個展する!なんて意気込んだりもしてましたが、結局もう少しこじんまりと、画集を作ろうということに。転機となったような受賞作品はもちろん、夫や孫に贈ったものや、ちょっと思い立って描いたイラスト、実際の制作風景写真なども掲載して、作品を通して祖母の人間や生き方が伝わるよう工夫しました。

制作するにあたって、自分が祖母の経歴を知らないことには始まらないので、まずは自由に載せたいものを聞いていくことに。祖母の話はあっちこっち行くので、話からピースを拾っては整理していきます… が、その中で出るわ出るわ、作品の山。一向にまとまる気配がないので、やっぱり片っ端から撮影していくことに。古い倉庫の奥から発掘したものを庭に貼り出したり、親戚の家に出向いて掛け軸を外したり、巻物をスクロール&スキャンしたりしながら、何とかデータが揃いました。東京大阪間、計五往復くらいした気がします。。(祖母宅は大阪。帰省ついでもあったけど。)

毎度、祖母宅でその回の撮影を追えると、東京へ持って帰ってはデータ整形をチマチマ進めました。撮影時には照明もセンチュリーも無い状態なので、ひとまず出来る限りのことをしてあとは補正を頑張る方向に。現場で必死のDIYも虚しく、結局半紙はしわくちゃだし、保存状態はひどくて折り目だらけだし、撮影データはやはりひどい状態。これを丁寧にデータ上で歪みを伸ばして繋げていきました。面倒ながらこういうのは楽しめる性分で、仕事の合間に息抜きで一枚、という感じで無事完遂。半紙の白をしっかり白に飛ばしつつ、滲んだ墨の階調をCMYK混合の黒に最大限マッピングする、みたいなチャンネル操作も新鮮で面白かった。

最後に台割を固めて本としての体裁を作っていくのですが、PDFを送って確認というわけにもいかず…、やはり大阪へ出向いて一緒に話し合いながら進めることに。無事全ページの内容が決まった日が本当に嬉しかった。後から必要なテキストは郵送などで手書きをもらって文字起こし。



無事、いろんな人に安心して見せられる状態でお祝いに間に合い、ホッとしています。

ちなみに画集制作の取材?を通して何度も驚いたのだけれど、この人のエネルギーは本当に凄まじい。娘の通う、よくある学校のPTA的な一行事で書道と出会い、それからもう40年以上続いてる。毎年いくつのも展覧会に出すし、審査もするし、自宅で書道教室もやるし、それでも飽き足らずプライベートでもとにかく書く。1人で百人一首を全札描いたり、オリジナルの巻物を携えて四国八十八箇所を写経しながら3年かけて渡り歩いたり、研修旅行として海外に何度も出向いたり、そういう活動をひっきりなしにしてる。一方で家に篭もって墨を自ら作ったり、新しい筆の使い方を研究したり、手紙代わりに書を贈ったりも意欲的にする。膨大な作品アーカイブと、それぞれの逸話に圧倒されながらも、少しでもその生き様が伝わるように、ほんの少しずつ作品に文を添えた。到底、病弱の祖父と3人の子供を見ながらの活動とは思えなかった。

一方自分は残念すぎて、書の良し悪しが分からないどころか、普段書く祖母の字は(実際に)達筆すぎて読むことすらできない。でも自分にも分かる形で明らかだったのは高校生の頃、初めて見せたペンタブに驚く祖母が、それを手に完璧な筆圧でスラスラと短歌を書いたのを見た時。弘法筆を選ばず、を最高の形で体現されて、度肝を抜かれました。

そんな祖母の手が生み出す作品群を、紙面上では特に未熟なデザイン力で精一杯背伸びして、何とか形にまとめました。その道の人には見せることすら億劫な拙作ですが…、祖母の人間により深く触れることができ、彼女がその過程と成果を喜んでくれて、幸せな制作に携われて良かったと本当に思います。